苦味

  苦味  




 スカートを履いた。
 化学繊維で出来た黒い膝丈のスカートだ。
 くるっと回ると、裾がふわりと浮き上がる。
 女の子みたいだ。
 私はそう思った。
 スカートを履くと、女の子はより女の子でいられると思う。女であることを女自身が実感する、とでも言おうか。
 化粧をしている時も同様だ。ファンデーションを叩いて、眉を描いて、アイラインを引いて、ビューラーで睫毛をカールさせて、リップグロスを唇に塗る。
 何かを装着することで女になれる。
 だから逆に裸でいると、私は自分が何者なのか解らなくなる。
 男よりも丸い線、膨らんだ乳房、更にその下にあるもの。これらは女である証拠でもある。けれどどれをとっても私には単なる身体的特徴としか映らない。それらは確かに女である証拠であり証明であるのだろうけれど、私にとって胸は突起でしかなくその下にあるものは排泄機能でしかない。
 身体が在るだけでは女とは言い張れない。
 だから私は着飾る。スカートを履く。長く伸ばした髪を結う。丹念に化粧をする。そうでもしないと女ではいられない。
 ――面倒だ。
 女とは面倒だ。女でいることが面倒なのだ。
 スカートを履くのも可愛い下着をつけるのも面倒だ。化粧もスキンケアも面倒だ、出費が嵩むだけである。
 女を維持しようとすればする程、金がかかる。
 ならば女であることを放棄したらどうだろう。
 結果は実行しなくても解る。社会から白い目で見られ、男が寄り付かなくなるだけだ。
 だが、それの何が悪いというのだろう。女であることを放棄したって、私は私でいられるじゃないか。
 むしろ何も着飾らない私が本当の私である筈だ。その私が否定されたら、それはそれまでの話である。
「それはさあ。……君、本当の自分ってやつを受け入れてくれる人が必ずどこかにいるって、思ってるだろう」
 正面に座っている男がテーブルに両肘をついて呟いた。
 私は相変わらず着飾っている。
 男は笑った。
「現実はそんなに優しくないと思うよ」
「そうかな」
「うん。白馬の王子様レベルだよ、それ」
「希望はあると思うんだけど」
 ないない、と男は手を振った。
「だって真面目に聞いてたじゃない」
「え? ああ、俺? え、知里ちゃん俺のこと好きなの?」
「ううん。全然」
「あ、やっぱり? 悪いけど俺も全然欲情しないわ」
「そういう意味じゃないんだけど。でもこういう話、真面目に聞いてくれる人はいるんだなと思って」
「だから希望? ううん、ないって。男はさ、やっぱ綺麗でかわいいのが好きだもの」
 明け透けに本音を披露する。だから彼には好感が持てる。恋がどうのというわけではない。人間的に、という話だ。 
 私はブラックのホットコーヒーを啜った。
「どうせ綺麗でもかわいくもないですよ」
「いや、うん。いやいや、ごめん。でも俺は知里ちゃん好きだよ。ああ、そういう意味じゃなくて」
「なんで?」
「ん、んー。いや、なんつうか。付き合いやすいっていうか……」
「男友達みたいだから?」
 男は肯定も否定もせずにへらへらした顔で笑った。
 どうやら私は着飾っても、女には見えないらしい。
「雌扱いされないってわけか」
「雌……って」
 男は何故か絶句した。
 どうやら私は男の抱く「理想の女性像」というのを砕くのが得意であるらしい。
 ――可愛げのない。
 自分でもよくわかる。
 とにかくさあ、と男はストローでグラスの中のジンジャーエールを掻き回しながら言った。
「偽ることがポイントだよね」
 男の目がきらりと光った。
 ような気がした。
 私は再びコーヒーに口をつけると、冷めてしまったそれを飲み干した。嚥下したあと、苦味だけが口に残った。
「苦しいね。それ」
 一瞬の間のあと、男がけらけら笑い出す。
 きっと、苦虫を噛み潰したような私の表情が面白かったに違いない。
 私は、そう思うことにした。








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