ミチシルベ




 これでいい、きっとこれでいい。
「ねえー、ゆーきさん」
 真っ白い進路調査用紙の、第一希望進学の欄を真っ黒いボールペンで塗り潰す。
 母親によって綺麗に記された有名私立大学名が汚れてゆく。
 これでいい、きっとこれでいい。
 頭の中でそんな呪文を繰り返した。
「ゆーきさんはー。なーんで留年したんすかー」
 うるさい。
 ユウキはぐしゃぐしゃと紙を丸めて、後輩の頭にぶつけた。ぽて、と情けない音をたてて紙屑が落下する。
「……何すんです」
「お前こそ、なんでそんなに人の神経逆撫でるようなことしか言えねえんだ」
「気になったから聞いただけでしょ。それがあんたの神経逆撫でたっていうなら謝りますけどね」
 すんません、と後輩は頭を下げた。
 うるさい、と言い返して顔を背ける。
 この後輩は洞察力があり過ぎるから困る。知られたくないことまで見透かされてる気がするのだ。
「あさゆき」
「だから俺の名前は朝行トモユキだっつってんでしょうが、幾ら言や解るんです」
「お前、将来やりたいことあんの?」
 トモユキは顔を顰めた。長く茶色い前髪を掻き上げる。
「何です、それ」
「ないの?」
「……別に。これといっては」
「……あっそ」
「ゆーきさん?」
「帰る」
 鞄を持って、立ち上がる。放課後の教室はもう暗い。
 今年ももう終わりで、来年には三年生になる。
 ユウキは二年生に上がる時に留年した。来年には元同級生たちが卒業していってしまう。その中にはもう進路や内定が決まった奴も沢山いた。
「ゆーきさんどっか寄ってく?」
「どっかってどこだよ」
「だから、どっか」
「だから」
 声を荒げる。
 相手の意図が読めない会話はキライだ、不安になるから。
 すると、前を歩いていたトモユキが振り返って言った。
「あんたが逃げたいなら手伝うよ」
 あまりにも、あっさりと。
 唐突に、朴訥に。
「で。どっかいく? 行きたいんでしょ? つうか俺が連れてくから」
「だから……どこ行くんだよ」
「あんたが退屈しないで済むとこ」
「だから。なんで俺が基準なわけ? なんでお前そんな考え方できんの? 何してぇんだよ」
「質問は一回につき一つにしましょうね。……とりあえず、だから俺はあんたと遊べりゃそれでいいんですよ」
「……わけ解んねえ」
「解らなくていい」
 実際、意味ないし。
 そう呟いて後輩は再び歩き出した。
 ユウキは黙って先行く後輩の足元を蹴りつけた。 
 馬鹿野郎、と。
 何故か猛烈に言いたくなった。
「ゆーきさん」
 なんだよ。
「……泣いてんの?」
 違うよ、バカ。
 声にならない。代わりに、嗚咽が漏れ始める。
 情けない、なんて情けないんだろう。
 俺は、俺は。
「めんどくさいよな、あんたってホント」
 わざと溜息を吐いて、後輩はユウキの腕を掴んだ。そのまま引っ張って強引に歩き出す。
「安心しなよ」
 なにが。
「道標になんか、幾らでもなってやるからさ」
 ユウキは両目を濡らしたまま後輩の後姿を眺めた。
 大きな背中に行き先などは書かれていない。
 ――それでも……。
 これでいい、きっとこれでいいんだ。
 肯定の呪文を繰り返しながら、ユウキは道標の制服を掴んだ。









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