赤茶色のライナス




 アリアはライナスを抱いてそこに立っていた。
 ライナスとは熊のぬいぐるみであり、そことは公園のベンチの前だ。
 悪天候の所為かいつも喧しいほど賑やかな公園には他に誰も居なかった。冷たい雨が降り注ぐ中アリアは傘も差さずに立ち尽くし、水を吸って黒くなった地面を見つめていた。
 アリアは先月六歳になったばかりの少女だ。白いレースのフリルを多様したフェミニンなワンピースを着用し、服のレースと同じデザインのリボンでウェーブの強いブロンドをツインテールに括っている。袖から覗く紙のように真っ白い手でぬいぐるみのライナス――彼女が命名した――を力強く抱き締めていた。
 不意に雨が止む。
 少女は真上を見上げた。
 透明の傘布と、ハンドルを握る大きな手が目に入る。
「寒くないかい」
 低い柔和な声音が耳に入った。
 男の人だとアリアは思った。振り向きはしなかったので、相手の人相や服装までは解らない。
 再び顔を俯かせ、少女は寒くないよと答えた。
「でもびしょ濡れじゃないか。風邪を引くよ」
「ライナスがいるから平気だよ」
「ライナス?」
「この子」
 アリアはぬいぐるみを指差した。
 なるほど、と背後にいる男が呟く。
「かわいい熊のぬいぐるみだね」
「ぬいぐるみじゃないよ。ライナスだよ」
「ああ、そうだったね。ライナスか。いい名前だ」
「おじさんは誰?」
 一拍の間を経て、男が笑う。
「おじさんか。そうだな、君くらいの子から見たら誰だっておじさんだよな」
「違うよ。おじさんはおじさんだよ」
「……解るのかい?」
「うん」
「見ないでも?」
「うん」
 素直に頷くと男はそうかと言って黙り込んだ。
 暫く二人きりでぱたぱたと降り注ぐ雨を見つめる。土を叩きつける雫が軽快なリズムを成して少女らの耳に届いた。
「おじさんも悪い人なの?」
 沈黙を破ってアリアが口を開いた。
「どうかな。もし悪い人だったら、君はどうする?」
「どうもしないよ」
「どうして」
「わたしも悪い子だから」
「そうなのかい? 何故そう思うんだ」
「サンタさんが来なかった」
 ライナスの頬に小さな唇を寄せ、少女は目を瞑る。
 自分で手に入れた、自分の為の贈り物。
「だから悪い子なの」
「……そうか」
 少女の頭に男が手を乗せ、優しく撫でる。
 暖かくて大きな掌の感触にアリアはうっとりと浸った。
 ――パパみたい。
「君はこれからどうするつもりなんだい」
「……わからない。行くところもないし、行きたいところもないから」
「じゃあ、おじさんと一緒に仲間のところに行かないか」
 アリアは瞼を開き、後ろを振り返った。
 ビニール傘を差していたのは、無精髭を生やした小汚い男だった。長身痩躯で、安っぽいジーンズとよれた灰色のシャツを身に纏っている。
 パパとはまるで違う。
 少女はそう思いながらも、男の柔らかな眼差しに好感を抱いた。
 ――このひとは、やさしい、ひと。
 パパとは、まるで。
「なかま?」
「そう。君と同じような人達がいるところ」
「悪い子?」
「会ってみたら解るよ。どうだい?」
 男が手を差し伸べる。
 少女は数秒とかけずに答えを出した。
「ライナスと一緒にいられるのなら」
 手を取ると、男は優しく微笑んだ。
「おじさんはアルジークだ。アルジーク・ドライク。アリア、君の名は?」
「……知っているのにどうして聞くの?」
「礼儀だからさ」
 再度、男が君の名は? と尋ねる。
 少女は真紅の瞳を向けて言った。
「アリア・ファブト」
「いい名前だね」
「そうかな」
「そうだよ」
 ――そうか。
 それも礼儀か。
 行こうか、と繋いだ手に引かれて歩き出す。
 所々赤黒く汚れているライナスをしっかりと脇に抱えて、アリアは思った。
 やはり、死んだ人の手より生きている人の手の方が暖かい、と。
  






















 

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