レインボウ・ピープル〜矢原センセイの場合〜




 捻った展開はいけ好かない。だけど直球ど真ん中じゃ誰も振り向いてくれない。
 ならば廃れる運命なのだろう。
 それでも人間である以上、簡単に人生をドロップアウトすることなんて出来ないから、俺みたいな奴が巷に増殖するわけだ。
「言い訳なら聞きたくないなぁ。それに矢原先生、かなり器用な方じゃない」
「先生、は止めて下さいよ」
「文芸誌に連載持ってるくせに卑屈にならないでよ。それ、作家志望の人に対してかなりの嫌味よ」
 携帯電話から目を離さずに、上村女史は漆黒のロングヘアを掻き上げた。彼女は俺が連載を持っている雑誌の編集者で、俺の担当編集だ。
「そうはいっても、それだけで食ってるわけじゃないですし」
「あと半年もやってれば専業作家になれるわよ。仕事増えてきてるんでしょ?」
「不思議なことに」
「だから卑屈になるのは止めなさいって言っているでしょう。何? なんかあったの」
 携帯電話のディスプレイから離れた鋭い視線に射られる。
 初めて会った時、気の強そうな人だと思った。実際、気が強い。あまり他者に興味を抱かない俺が少々同情してしまうほどに。
「笑いません?」
「場合によっては笑うわよ」
「ふられたんですよ」
 言った直後に後悔した。
 消化しきれない苦い気持ちが、胸中に溢れ出してきたから。
 上村女史は眉墨で綺麗に整えた柳眉を、僅かに顰めた。そしてシンプルな問いを紡ぐ。
「貴方が?」
「……僕は別に芸能人でも金持ちでもないんですが」
「イケメンでしょ。背も高いし、モテるでしょう。チャラいわけでもないし。ああ、実はDV体質とか?」
「恐ろしいこと言わないでくださいよ。暴力は嫌いです。SM趣味もありません」
「じゃ、どうしてふられたの」
 答えずに煙草を咥える。タールを多く含んだマイルドセブンに火をつけて、白煙を吹き出した。
「……体裁を気にされた、のかな」
「なにそれ」
「公にできない関係だったんですよ」
「男が相手だったの?」
 鋭利なナイフのような一声が耳に突き刺さる。
 肯定も否定もせずに、俺はまっすぐに上村女史を見詰めた。
「普通、公にできないって言ったらまずは浮気とか不倫関係とかを疑いません?」
「だって貴方、浮気とか不倫とかしそうにないから。鎌かけてみただけなんだけど」
「その発想力、怖いなぁ。ねぇ上村さん、なんかネタ出してくださいよ。俺、今行き詰ってるんです」
「そんなこと原稿読んでたら判るわよ。せめてプロット通りに書き直しなさい、あんなの通せないわ。あとアイデアのヒントくらいは提供するけど、ネタなんか出せないわよ」
「企画立案だって編集の仕事でしょう」
 あのねぇ、と呟いて上村女子は担当作家を睨み上げた。
「ちょっとプライベートがうまくいってないからって、そう簡単に仕事に影響与えないでよ。情けない、甘ったれるのもいい加減にしなさい」
 読まれている。
 そうだ、俺は確かに女史に甘えている。叱り飛ばして欲しいのだ。だからこうして腑抜けた姿を晒しているのである。
「今が一番大事な時期だって分かっているの? この連載が一冊にまとまれば、貴方の実力なら芥川だって夢じゃないんだから」
 それは流石にどうかなと思う。
 謙遜しているわけじゃない。業界関係者から高評価を貰えるのは確かに嬉しいし、自信にも繋がる。
 ただ褒められると、そんなことはないと真剣に思う。天邪鬼なのかもしれない。
 ――やっぱり謙遜か。……卑屈なのか。
 駄作を書いているつもりはないが、名作を書いているつもりはない。良作の枠内に微かでも引っかかってくれたらいい。そんなモチベーションだからいけないのだろうか。
 だが人間の価値観など多様に存在するのだから、読む人によっては名作も駄作になる筈なのだ。全ての人間を満足させる書物などあり得ない。逆に、全ての人間に不満を抱かせる書物だってあり得ないのだ。
 書の評価は読み手の心理作用に左右される。昼に読んでもつまらなかったものが、夜に読んだら面白かった、なんてことはざらにある。
 だからどんな書物も名作であり駄作であるのだ――と思う。
 思うが、それを言い訳に持ち出したら作家として終わる気がする、とも思う。加えて商業作家として生きていこうと思うなら、まず売れなければ話にならない。売れるためには、大勢の人間に名作、良作と思わせるようなものを書かなければならない。
 だからつまり――自分の力の範囲で、良作の枠内に引っかかるよう足掻くしかないのだ。
「賞とか、興味ないですよ」
 だが実際、取れたら嬉しいだろう。
 だから――。
 天邪鬼だ。
「物語を書いて、それで金が貰えて食っていけりゃ、それ以上に望むことなんて何もない」
「向上心がないだけじゃないの。無欲に見せかけて」
「……上村さん、怖い」
「よく言われる」
 上村女史はそう言い捨てて、ホイップクリームがたっぷりのったキャラメルフラペチーノを啜った。そんな甘ったるいものをよく舌に乗せられるな、と思う。
「でも、甘いもの飲んだり食べたりしている時は、かわいいですよ」
 女性らしくて、と言ったら怒るだろうか、このワーキングウーマンは。
 緑色のストローから口を離して、上村女史は肩を落とした。
「重症ね。ふられたのがそんなにショックなの?」
「ええ、かなり」
 事前に提出したプロットを大胆に無視した物語を無意識に紡ぎ、その原稿を編集部に送りつけた挙句に、担当編集者に呼び出され叱咤されるほどに。
「その……相手に、本気なの?」
「え? ええ……かなり」
「なら食い下がればいいじゃない」
「……更に嫌われるかもしれない、としても?」
「だって、諦められないんでしょう?」
「……普通、そこはすっぱり諦めろって言いません? ふられてんだから」
「ああ、ごめん。私そういうの苦手だから。男が欲しがってる言葉ってわからないの。で、貴方は諦めろって言われたいの? それとも諦めるなって言われたいの? 望んだ方を答えてあげるわよ。それでまともに仕事してくれるならね」
「上村さんさぁ、」
 俺は何度か吸った煙草を灰皿に押し付けて、無糖のコーヒーを啜った。
 女史に顔を近づけ、そっと囁くように呟く。
「恋人いるっていったよね」
「……ええ」
「女?」
 上村女史は甘ったるい飲み物を口に含んだあと、冷静に答えた。
「貴方の発想の方が怖いわよ」
「そうですか? だって男嫌いそうだし。美人でスタイルいいから――ああ、これセクハラかな。すみません。だから、男なんて簡単に引っかかりそうなもんだけど、それにしては男の影ないし。付き合っても男と上手くいきそうに見えないし、思えないし」
「セクハラどころか重度の名誉毀損よ。予測の段階でよくそこまで人を悪く言えるわね」
「お互い様でしょう。俺も貴方も――各々自覚しているところまで」
 自分の欠点くらい把握している。ただ、把握したところで容易に改善はできないけれど。
「でもさ、欠点を補うために人を好きなるわけじゃない――よね」
「……何が言いたいの」
「ただでさえリスクが高いのに、自分と相手の人生を天秤にかけることはできないでしょう」 
 女史は今まで堪えていたのだと言わんばかりの、盛大な溜息を吐いた。
「そんなの、言い訳でしょ」
「…………ああ、……」
「……何よ」
「いや。女は強いな、と思って」
「当たり前じゃない」
 だから男って嫌いなのよ、と上村女史は続けた。
「それで、どうするの原稿は。プロット通りに書き直したとして、締め切りまで」
「変える。変えたい、今ちょっと降りてきた。プロット書くんで――ペンと紙あります?」
 女史は呆れた顔を差し出すと、黙って手帳の切れ端とボールペンを差し出した。
 受け取って直ぐにペンを走らせる。降りてきたネタを忘れたら終わりだ。
「……前のプロットを凌ぐ出来じゃないと、承知しないわよ」
「分かってます。苦労かけてすみません。いいもの書くんで、俺のために編集長に怒られてください」
「当たり前よ。貴方が苦心して納得して書いた良作を世に発表できるのなら、幾らでも怒られてやるわ」
 はは、と俺は笑った。
「上村さんが担当で良かった」
「お世辞はいいから、さっさと書きなさい」
「書いてます。ねぇ、上村さん」
 頭をフル回転させながら言葉を、文章を記す。その快感を味わいながら、ポジティブになった俺の思考が若干暴走を始める。
 ――まぁいいか。
 言い訳ばかりたて並べて、防御力だけを上げるよりマシだ。
「今回の原稿が上手くいったら、諦めずに食い下がってみますよ」
 女史が珍しく悪戯っぽい笑みを零す。
「諦めた方がいいんじゃない?」
「そう言われると諦めたくなくなります――って、判ってて言っているでしょう?」
「そうね。案外、天邪鬼だから。矢原センセイは」
「流石編集者。担当作家の操縦術を心得てますね」
「上手くやれている方よ。珍しくね」
 気の強い女が柔らかく微笑む。
 衛に出会っていなければ、手を出していたかもしれない。
 俺はそう思いながら句点を記した。   
















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