明日地球が滅びたら

  明日地球が滅びたら  







 明日地球が滅びるとしたら、貴方は何をするだろう。
「あたしは彼氏の浮気相手を殺しに行くね」
 女とは怖いことを平気で口にするものだなと思いながら、順平は生ビールを仰いだ。
 酒が入っている所為か、十年来の友人である真理は普段よりも饒舌に愚痴を吐いた。
「ていうか浮気されてんの?」
「されてる。されまくりだよもーなんであんなのと付き合ってんだろ。あんなクソヤリチンとさぁ」
 真理は前髪を掻き上げて溜息を吐いた。顔が紅潮しているし、眼も潤んでいる。大分酒が回っているようだった。
「でもさぁ、好きなんだろ」
「ムカつくことにねー。あー、嫌になる。くそー」
 真理は据わった眼でジョッキを睨みつけたあと、手に取ってビールを流し込む。
 その辺で止めておけよ、と言いかけたが止めた。気が置けない友人との酒宴なのだから、好きにさせてやろうと順平は思った。
「で、順ちゃんは?」
「え?」
「明日地球が滅びるとしたら、さ。どうするよ」
 明日地球が滅びるとしたら。
 順平は咥えたマイルドセブンに火をつけて、暫し思案した。
「そうだなぁ……。実家に帰って、家族と一緒に過ごすかな」
「うっわ、つまんねー。何それ。てか順ちゃん、彼女いないの? 今」
「……いることにはいるけど」
「じゃあなんで彼女と一緒に過ごさないのよ。彼女よりも家族の方が大事なの?」
「うーん。難しいな」
 何それー、と真理が不満気な声をあげる。
 順平はネクタイを緩めながら、煙草の煙を吐き出した。
 彼女はいる。だが順平の彼女は、順平だけのものではない。
 彼女には夫がいるのだ。
「なんていうか、彼女には俺より大事な人がいるからさ」
「……え。何それ。順ちゃんも浮気されてんの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
「なんだよもー、はっきりしなさいよ男なんだからぁ。飲むかぁ?」
 真理は赤い顔を店員に向けてジョッキおかわりーと叫んだ。
 おいおいもう止めておけよ、と言いかけて再び止める。何だかどうでも良くなってきた。
「順ちゃんさ、そういうところが駄目なんだよ。女はね、何だかんだ言っても引っ張ってくれる男に惚れるんだから。優しいだけじゃいかんのよ」
「……そうだな。それは俺もそう思う」
 もし明日地球が滅びるとしよう。
 順平は帰宅して酒を抜いてから、クリーニングから上がったばかりのスーツを着用する。髪もきちんとセットして、最大限格好良く決めたら、彼女の家に向かう。そして颯爽と彼女の目の前に現れ、家から連れ去って、それから世界が終わるまで二人で過ごすのだ。
 もしくは彼女の薬指から指輪を抜いて、順平が買ってきた指輪を填める。そして二人だけで結婚式を――。
 そこまで考えて、馬鹿かと順平は思った。
 いずれにしろ彼女の同意がなければ話にならない。そして恐らく、その同意は――。
「でも、傷つけたくないんだ」
 彼女は恐らく一生、順平のものにはならない。
 そんなことは解っている。
 明日地球が滅びることもない。
 そんなことは、解っているのだ。
「……本当に優しいね、順ちゃんは」
 順ちゃんを好きになれば良かった、と真理が真顔で呟いた。
 順平は嘘を吐け、と返して煙草を喫んだ。
「奪う度胸がないだけだよ、俺なんか」
「解ってんじゃん」
 けらけらと真理が笑う。
「でもそこが順ちゃんの良い所だけどね」
「最後は持ち上げるのかよ」
「うん。やっぱさー、順ちゃんは優良物件だと思うよ」
「その心は?」
「平穏安心だけど遊び心がないのが玉に瑕」
 思わず吹き出す。
 真理があははと笑った。
「上手いなぁ。参った」
「でしょ、でしょ。ほらほら順平も飲めーっ」
 空いたジョッキにビールが注がれる。泡だけでとても飲めたものではないそれを、順平は一気に腹の中に流し入れた。
 溜息と共に、虚しさが腹の奥から逆流してきた。
 
 











20091026




  
 
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